KAYOLOG

野口整体的子育て・仕事・日常のこと

父の記録④致死性不整脈

1月16日(土)

カテーテル手術後

致死性不整脈の合併症を起こした父。

面会の前に静岡にいる兄に電話をした。

堪えようと思った涙が出てきて

泣いているのがバレたかもしれない。

兄がお正月すぎに帰ってきた6日頃

父は「胸が痛い」

そう言ってたらしい。

そこまでの痛みじゃなかったのか

強く訴えることなく

兄や母も無理矢理病院に連れて行かなかった。

この時に行っていれば

こんなことにはならなかったかもしれない。

でも強い訴えじゃなければ

私でも無理矢理に連れて行ったかはわからない。

今更の話。

ようやく面会を許された。

このコロナ禍の中

面会を許される

それは

いつどうなってもおかしくない

ことを意味していた。

病室に入って見た父は

もちろん意識はなく

人工心肺やら

点滴やら

呼吸器やら

いろんな管に繋がれて

眠っていた。

人工心肺は

コロナのニュースで聞いたことある

ECMO(エクモ)というやつで

まさか自分の父親が

そのエクモに

繋がれてる所を見るなんて

1ミリも想像してなかった。

ベッドで眠ってる父は

まるで何事もなかったかのようにも

ものすごく弱ってるようにも見えた。

主治医のI先生から話を聞く。

母が入院の荷物を持って病院にきて

その荷物が父のところに届いた直後

容態が急変したらしい。

致死性不整脈

いわゆる心室細動と言われるもので

ICU内にいたから

処置が早く助かったものの

もし一般病棟にいたら

間に合わなかったかもしれないと

聞かされた。

そういう意味では

ICUにいて運が良かったと思わざるを得ない。

父の心臓は

通常の半分ほどの心筋が

すでに壊死していて

今は心臓を休ませるために

人工心肺(エクモ)を使ってるとのこと。

動脈硬化もあって

血管もとても弱くなってるという。

「今晩が峠」と言われ

母と一緒に実家に戻った。

太郎はK君が迎えに行ってくれ

一緒に家に帰ったと連絡が入る。

さすがに、今晩が峠と言われて

母を1人にして

自分の家に帰る気にはなれなかった。

実家にはつい2日前まで

父が眠っていた布団がそのままあったので

パジャマに着替えて

その布団の中に入った。

小さい頃から大好きだった

父の匂いがする。

スマホを横に置いて

布団に入ったものの

あまりの展開に信じられない気持ちと

いつ電話が鳴るかもしれない緊張で

全然寝付けなかった。

母が何度も寝返りを打ってるのが

気配でわかった。

親が死ぬことと

夫が死ぬこと

この二つはあまりに違う。

私にできることは

父のいないこの家で

母のそばで眠ることだけだった。