KAYOLOG

野口整体的子育て・仕事・日常のこと

父の記録⑥心臓破裂

自分がいつも見ていた父は

よく動く人で

仕事が休みでも

いきたい所に行って

食べたいものを買って

太郎と一緒におもちゃで遊んでくれる

日曜日は太郎と一緒に

JRや新幹線が見える堤防に

いつも連れていってくれた。

電車を思う存分見た帰りに

太郎にせがまれ

おもちゃ屋さんで

おもちゃを買わされるという

孫に激甘の

とっても活動的な人だった。

先生からの話を聞くと

動脈硬化もずいぶん激しく

血管はボロボロとのことだった。

心臓も弱ってたことを考えると

元気に見えてただけで

実はもっと前から体はしんどかったのかもしれない。

体を使う仕事をしてきただけに

多少のしんどさに

慣れきっていたのだろうと今は思う。

1月26日(火)

この日の朝

父は順調に回復し

人工心肺(エクモ)も取り外され

意識も戻ったと聞いた。

先生や看護師さん達の声かけに

まばたきしたり

指を握り返したりなどの

反応があったことから

はっきりした意識を持っていた。

しかし

AM12時頃、急変したと

連絡が入る。

一気に血圧が下がったそう。

原因は心臓破裂。

字を見ると、

結構ショックな病名だけど

本当に血が噴き出て破裂した訳ではなく

先生曰く

恐らく心臓左室の壁から

滲み出るような出血があり

滲み出た血を吸い取る処置。

実際の状況は手術で

胸を開いてみないとわからないということで

穴があいて出血してる所を塞ぐ手術

ワッペンみたいに穴を塞ぐか

それが難しければ

破けている穴の部分を

縫合するという。

本当にいつどうなるかわからないということで

手術開始の14時頃

静岡にいる兄に急遽電話をした。

仕事中だったが今から向かうと言ってくれた。

兄が来てくれるということで

私もほっとした。

この時、心の底から

兄がいてくれて

兄妹で良かったと思った。

兄は19時前に到着。

父が入院してから初めて

家族が揃った。

手術は早くて6時間くらいと

聞いていたけれど

結局10時間近くかかり

ICUの病室に戻ってきたのは

24時を過ぎていた。

昼間は晴れてたのに

いつの間にか雨が降っていた。

数人の看護師さん、先生に囲まれ

父はICUに戻ってきた。

ここでまた

人工心肺(エクモ)に繋がれることになる。

心筋梗塞の二大合併症は

致死性不整脈心室細動

心臓破裂

父は二つとも発症した。

先生曰く

この2つを発症して生きてる人を

今まで見たことがないという。

さらに2度目のエクモ。

エクモが2度入ったら

救命率はかなり低くなる

2度ともエクモを外れた人は

個人的な経験上みたことがない

担当の看護師さんがそう言った。

いつも温かい対応をしてくれる

この看護師さんがここまでいうなら

やっぱり相当厳しいのか・・・と

覚悟をしなければいけない

そう思った。

主治医のI先生が

「心臓循環器科で70歳は

ものすごく「若い」

できることは

全てやっていきます」

そう言ってくれた。

この先生と

担当の看護師さん達は

本当にアットホームで

温かい方達だった。

厳しい現場で仕事をしてくれてる

医療従事者の方達には本当に感謝しかない。

「ここ数日が山」と言われ

家族3人で父の病室に入った。

コロナ禍だけど

あまりにいつも父の状態が

危険なこともあり

面会はいつもすんなりさせてくれる。

兄は入院して眠っている父を初めて見る。

仕事と移動の疲れに加えて

ショックが大きかったのか


目眩を起こしてよろめいた。

少し別室で休憩してから

また戻ってきた。

こんな兄の姿を見たのは

初めてだった。

私と母は1回目の危篤の時に

面会してたので

ある種の耐性ができてたのかもしれない。

人間は慣れるんだな、と

父の顔を見ながら

そんなことをぼんやり考えた。

せっかく意識が戻るまで

回復していたのに

なんでこんなことになったんだろう。

考えてもしょうがないことが

頭を巡る。

面会後、兄と母は実家に

私は自分の家へ戻った。